日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

戦国北条一族/黒田基樹/新人物往来社

戦国 北条一族

戦国 北条一族


またまた後北条氏本を読む。黒田基樹氏は『戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡 (別冊歴史読本 (16))』でも北条氏直の章や北条一族・家臣団の人物辞典などを執筆されています。


さて、やはり一番興味が湧くのは北条早雲こと伊勢宗瑞の章。思うに、宗瑞の生涯は北条五代の中でも取りわけ多くの虚構に覆われていますので、それゆえにその虚構の中から実像が垣間見えたときの興奮が大きいのではないかと。

宗瑞の生年

一般的には、江戸中期以降の軍記物・系図類に享年88歳と記載されていることから永享四年(1432)生まれとされることが多いのですが、それを否定し、現在有力になりつつある*1康正二年(1456)年説について詳しく解説しています。
永享四年説は北条早雲を大器晩成型とする根拠になっていて、この高齢化社会の現代ではよく取り上げられる話になっていたりします。今年5月の『その時歴史が動いた』でもそのような内容の番組がありましたね。


その時歴史が動いた/戦国をひらいた男/NHK総合 - 日本史日誌


しかしこの永享四年説、享年の記載は江戸時代前期の諸史料に見られないにも関わらず、江戸中期以降から唐突に見られるようになっているそうで、創作の疑いがかなり強い。しかも永享四年が宗瑞の父に比定されることもあった伊勢貞藤の生年であるということで、それとの混同の可能性を指摘。さらに88歳が米寿という取って付けたようなお目出度い年齢ということ。そして何と言っても、全ての事績において年齢が高すぎる*2ということ。
ただ康正二年説も、子年生まれという伝承、そして姉・北川殿の年齢*3からの推定に基づくものということで、確証のあるものではないのですが、目安にはなるでしょうし、何より全ての事績においてこちらはしっくりくるんですよねー。

北川殿は姉?妹?

これ、いつも頭の中でごっちゃになってしまうんですよね。はー。
どうやら妹説が通説の模様。宗瑞の享年88歳説に基づいて明治時代に唱えられたものらしい。江戸時代前期の諸史料では姉に位置づけられているようだ。



まだ記しておきたいことはあるのですが、続きはまた後日にでも。

*1:と、勝手にそう思ってるだけかもしれませんが。(^^;

*2:それゆえ大器晩成型という評を得てきたわけですが。

*3:これも今川義忠との婚姻と、その子・今川氏親の出産の年からの推定になってます。