日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

平城京はもっと広かった?「九条大路」南側に道路遺構

奈良時代(8世紀)の都・平城京の規模が南に約400メートル大きかった可能性の高いことがわかったと、奈良県大和郡山市教委と元興寺文化財研究所が26日、発表した。
同市の下三橋遺跡で、平城京の南端とされてきた東西道路「九条大路」の南側に、京域を碁盤目状に区画する「条坊道路」とみられる遺構が複数確認されたため。平城京は南北「九条」が明治後期からの定説だったが、「十条」まで計画されていた可能性が出てきた。
確認された遺構は、京域のメーンロード「朱雀大路」東側の南北道路「東一坊大路」の延長とみられる道路(幅23・7メートル)。「九条大路」の南側に突き出ていた。これを含め、交差点など計5本の道路遺構が確認された。道路幅などは平城京内の道路とほぼ同じ規格だった。今回の調査結果や周辺の地割りなどから推測すると、平城京の東半分が南に約400メートル伸びることになるという。これまで、平城京は東西約4・3キロ、南北約4・8キロとされてきた。
(読売新聞)

またまた奈良で大ニュース(?)ですよ。