日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

藤原忠実/元木泰雄/人物叢書

藤原忠実 (人物叢書)

藤原忠実 (人物叢書)

  • 第一、忠実の生誕
  • 第二、祖父と父
  • 第三、苦難の出発
  • 第四、白河院政の確立
  • 第五、摂関家再興の努力
  • 第六、興福寺の蜂起
  • (つづく)


藤原忠実の前半生については基礎的な知識も欠けているので、読んでいて新鮮なことが多いです。主なところをいくつか挙げてみましょう。

祖父藤原師実の養子になっていること

生まれてまもなく父母が離別したため、祖父が育てざるを得なかったためらしい。父母の愛を知らぬ貴公子って、恋物語の主人公になりそうな生い立ちですな。

摂関家四代(師実−師通−忠実−忠通)の年齢差が少ないこと

師実−師通が20歳差、師通−忠実が16歳差、忠実−忠通が19歳差。師実〜忠通でも55歳差に過ぎない。すなわち師実が56歳*1のときに曾孫忠通が生まれている。長い歴史上でみれば珍しい事例ではないかもしれないけど、やっぱり詰まり過ぎですって!
お陰でちょっと年代感覚がずれてしまう。師通が38歳で若死にしたとき、忠実は幼少のため摂関家白河院に従う他なく・・・のような理解をしていたのですが、もうこのとき既に忠実は二十歳を越えているんですよね。しかも隠居の師実がまだ生きているってのが、どうもいまひとつピンとこない。

長男忠通の命名候補に「兼実」

のちに忠通が息子に付けた名前ですが・・・自分のときに不採用となったものを息子に付けるってのもよく分からん感覚です。

*1:数え年