日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

福島編/2日目/会津若松市

<写真>http://www2.pf-x.net/~sanraku/aizu02/index.htm


昨日は会津若松城を中心に市街地をめぐりましたが、この日は郊外をめぐります。
そんなわけで、また宿所で自転車を借りて出発。

9:05 妙国寺

まずはじめに市街地北東部の飯盛山方面へ。ここは飯盛山で自刃した白虎隊士を最初に葬った場所。

9:15 滝沢本陣

藩主の休憩所であり、戊辰戦争のときには松平容保が陣を敷いたところでもある。飯盛山はすぐ近く。

9:30 飯盛山

で、やって来ました飯盛山。白虎隊士が自刃した場所として有名な、まー、いわゆる観光地ですね。有料エスカレーターには乗らず、歩いて登りましたが、そんなに大したことはなく。
会津若松城方面の見晴らしは素晴らしいけど、ちょっと遠くて城の場所をハッキリとは確認できなかった。煙が上がっているのを見て落城と勘違いしたというのも分かるような気がする。

9:50 さざえ堂

飯盛山の山腹にあるミョ―な形のお堂。内部は二重螺旋構造。これはもしや・・・遺伝子そして生命の神秘を表しているのか?!

10:15 大龍寺

流浪の果てに会津に流れ着いた小笠原長時の墓があります。
ここにきて日差しが強烈になってきた。紫外線が肌に痛い。

10:40 天寧寺

近藤勇のお墓があります。メジャーな観光スポットではないにもかかわらず、訪れる人も結構いて、新選組人気を改めて実感。
ここは土方歳三が持ち運んだ首を埋葬した首塚という伝承があるようですが、そもそも近藤勇の首は京都に運ばれて三条河原に晒されたはず。ただ、その後は行方知れずとなっているので、土方以外の誰かによって会津に運ばれたという可能性も無くはないと思いますが果たして・・・。
それから、萱野権兵衛・郡長正の墓もあります。いずれも境内に案内表示があって助かるのですが、ただ萱野権兵衛の墓に関しては立ち並ぶ墓石の中でどれが該当のものなのか、最後の詰めがなされていないので注意が必要。というか「萱野権兵衛」の名乗りは代々のもののようで、どれが戊辰戦争の責任をとって切腹した萱野権兵衛の墓なのか迷いました。没年が明治二年となっているものがそれだとは思うんですけどね。

11:15 保科松平家墓所

正経から容保まで、初代保科正之を除く保科松平家歴代藩主が眠る地で、すごい広いです。いままで訪れた大名家墓所の中でも最大じゃなかろうか。とにかく広いので、蒸し暑さもあいまってかなりくたびれてペースダウン。


次は会津武家屋敷へ行く予定でしたが、再現テーマパークということで優先度が低いのでパスすることに。

12:40 芦名家墓所

芦名家三代を葬った墳墓。小さな塚が三つ並んでいます。

13:00 恵倫寺

先に小田山を登る予定でしたが、恵倫寺境内から登ったほうが近いようなので先にこちらへ。
なんかもう、少しでも楽したい気分。しかし墓地裏手から伸びているはずの登山道がなかなか見当たらず、右往左往して諦めかけたところで発見。結局、楽どころかむしろくたびれる結果になってしまいましたとさ。しかも柴四朗・五郎兄弟も見つけられず(通り過ぎたか?)、いいとこなし。

13:20 小田山

恵倫寺より登る。途中合流した本道は道幅も広く整備されていて歩きやすい。始めからこちらを登ればよかったか・・・急がば回れってことですね。
さて、小田山は会津若松城が一望できるということで、戊辰戦争の際に西軍が布陣して大砲を城に向けて撃ちまくったという場所で、実際登ってみると天守までハッキリ見えるし、ここを押さえるかどうかが会津若松城の命運を握っていたことを実感。

14:00 建福寺

離れの墓地は、河井継之助を最初に埋葬した場所だそうで、供養塔が建っています。


この後に予定していた善龍寺は、目当ての西郷頼母一族の墓がこれまた山の中腹だというので、気持ちが折れてパス・・・心身ともに疲れ果てた。あとは平地をまったり進むだけ。

14:20 蒲生秀行廟

金属製の覆堂が木造廟屋とあまりマッチしていないけど、何だかすごいインパクトある。

14:45 長岡藩士殉節碑

只見線の陸橋を越え、市街の南西はずれまでやってきました。暑さがピークで意識が朦朧。

15:25 如来堂跡

一気に北上。市街の北西はずれの田園地帯。斎藤一率いる新選組が壊滅したところ。なんか神指城の遺構の一部でもあるらしい。

15:35 神指城

上杉景勝が突貫工事で造り、完成することなく廃城となった神指城。土塁の一部が残るのみですが結構巨大。往時を妄想。

15:45 中野竹子殉節碑

正確な位置が分からずに行ったのですが、国道252号を市街地に向かって南下していると案内板が出ていて助かりました。

15:55 阿弥陀寺

無事市街地に帰還して、最後のシメはここ阿弥陀寺斎藤一の墓目当ての人々が少ないながら群がっておりました。個人的には会津若松城本丸内から移築したという御三階櫓がツボ。


この日はあまりの蒸し暑さでぐだぐだになりかけましたが、まー、それなりに持ちこたえることが出来たかと。
それと、何より実感させられたのは新選組人気の根強さ。天寧寺も如来堂跡も阿弥陀寺も、新選組ファンとおぼしき人々が来ていましたが、新選組関連でなければそんなに訪れるようなところでもないだろう。実際、この日に他で観光客を見かけたのは飯盛山・滝沢本陣・松平家墓所だけだったりします。(^^;