日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第27回「一の谷の奇跡」

1話まるまる一ノ谷の戦いでしたが、逆落とし以外の『平家物語』主要エピソードがカットされ、『平家物語』ファンにとってはまたしても残念な内容だったのではないでしょうか。

搦手軍の面々

軍議のシーンに登場していたのは、義経主従と安田義定・土肥実平、それと何故か梶原景季。安田・土肥両者は『吾妻鏡』の交名において搦手軍の中にみえるが、梶原景季は父梶原景時とともに大手軍にある。『平家物語』でも梶原親子のエピソードがあったりしますし、景季は当然大手軍にあったと考えてしかるべきですが、何故かこのドラマでは義経にピタリくっついて離れない。このまま屋島や壇ノ浦でも付き従っていそうな感じだ。もしかすると、平家滅亡後に起きた頼朝・義経の対立の中で、史実*1以上の役割を果たすことになるのかもしれない。

2月4日は平清盛の仏事

が執り行われたそうな。合戦の3日前のこと。平清盛は治承五年(1181)閏2月4日の死去なわけですが、閏月なんて滅多にあるもんではないので、やっぱり仏事は通常の2月4日に行われるんですね。

鷲尾三郎

鵯越への道案内役として登場。『平家物語』からの登場人物ですが、『平家物語』でも古態を示すという延慶本に長門本では道案内役は播磨国安田庄下司の多賀(或いは賀古)菅六久利という人物だそうです。鷲尾三郎義経伝説の形成過程で作り上げられた人物とみるべきでしょう。

一ノ谷を偵察する義経

眼前の三草山に布陣する平家軍を差し置いて一ノ谷を偵察する義経。しかも半日を潰して。虚構云々と言うより、意味が分からないんですけど・・・。

三草山の戦い

スルーかと思いきやスルーされませんでした。意外。
民家に火を放つ義経。『平家物語』の義経はすぐ火を放つ武士になっている模様。まるで上杉謙信のようだ。ドラマの義経は「いい人」なので住人たちには立ち退いてもらってます。ただ、この火付け戦法、『義経とその時代』によれば夜討ちするのに民家に火付けしてしまっては奇襲にならずおかしいとの指摘。虚構による物語の齟齬でしょう。
一方、大河ドラマでは火を放ち、鐘を鳴らし、心理作戦で戦わずして敗走させたので齟齬は出ませんでした。

逃げ去る平資盛

三草山から敗走した平資盛らの小松一門の兄弟は、一ノ谷へ向かった平師盛を除いてそのまま屋島へ逃げさったそうな。

和睦の話

吾妻鏡』寿永三年(1184)2月20日条に基づく話かと思われます。内容は、合戦後に生捕りとなった平重衡に書状を書かせて平宗盛へ送り、その返事となってます。その中に、後白河院から和平交渉についての書状が2月6日に届き、院使が来るのを待っていたところ鎌倉方の攻撃を受けたとしている。和睦交渉といえば、『玉葉』にも話がみえるが、1月末に使者として派遣される予定であった静賢法印が辞退したとあり、こちらの話からは使者派遣は頓挫したと思われるのだが、実態はどうなのだろうか。

一ノ谷の戦い始まる

寿永三年(1184)2月7日。大手の源範頼は生田口を攻撃。生田の森が戦場となっているので、なんだかロケ地は森の中っぽい。
逆落としのシーンで馬から転げ落ちている人が居ましたが、あれは演技なのか?大丈夫か?

捕らわれの平重衡

義経主従によって生捕りにされていましたが、『吾妻鏡』によれば明石浦にて梶原景時らによって生捕られたとあります。

凱旋将軍義経

合戦翌々日の2月9日に早くも上洛。平家一門の首を都大路で引き回すことを奏請するために少数の兵のみを連れて上洛したという。このとき平重衡を伴った模様。

*1:頼朝の命を受けて義経と対面して動向を探り、謀反の疑いありと復命。