日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第22回「宿命の上洛」

えーーっと、今回は特に興味を惹くような話もなく、どうにも空腹感。都を伺う木曽義仲、それを受けての平家の対応、という史実がストーリーの軸を構成してはいるものの、メインはあくまで架空エピソードに占められているせいだろう。義経の出陣時期が創作であることは既に前回*1分かっていることであるから、それはいいのですが・・・。

越中権守範高殿、州浜判官高能殿、三河守知度殿」

二位尼時子に平知盛が戦死者を知らせていました。前二者についてはよく知らず。平知度は平清盛の末子。平知盛にとっては異母弟で、時子にとっても腹を痛めた子ではないが息子には違いない。それゆえに衝撃を受けたという演技だったと思いますが、そんな説明はまるきりないので、それを知らない視聴者はどう思われたろう。まぁ、さほど気に止めるほどのシーンでもありませんが。

相変わらずの三羽烏

無言の後白河院。怖い丹後局。そして偉そうな平知康
平知康はもちっと軽そうな感じでやって欲しいなー。名門の生まれでもなく官位も低い。院の寵愛に拠っている男なのだから、あまり重々しい感じは相応しくないのでは。それに、草刈正雄はそのような演技も出来るハズ。

平家嫡流相伝の鎧にまつわる話

出典は原作の『宮尾本 平家物語』のようです。


http://www3.nhk.or.jp/taiga/topics/guide/yoroi.html


屏風のエピソードともに、わざわざ「宗盛の小人物ぶりを表した」そうな。架空エピソードでそこまでするか。(>_< )


http://www3.nhk.or.jp/taiga/topics/guide/yoroi2.html


不必要なエピソードだけど、たぶん都落ち後の平家一門の分裂をこれに暗示させているんだろうなぁ。特に小松一門の動向*2はこのエピソードが原因になるんだろうなぁ。そしてまたあの名言がプレイバック!「そ、その方ら。私のせいだと申すのか!」*3

出陣していながら戦いたくない義経

近年の大河ドラマは、「主人公は平和主義者で、なんとか戦い・争いを回避しようとするが、時代の流れには逆らえず、致し方なく戦うことになる。そしてその苦悩を描く。」というのが決まり事(?)となっていますので、ウジウジ悩むタッキーにイライラする向きもあるようですが、そういうもんだと諦めて見ることが肝要かと思われます。と、自分にも言い聞かせる。(^^;

比叡山を眺める義経

比叡山が見えると言うことは、鈴鹿関を越えて近江に入っているという設定か。

*1:義経 第21回「いざ出陣」 - 日本史日誌

*2:都落ちの際に平資盛後白河院を頼って京へ戻るも受け入れられなかったので仕方なく都落ちに同道したこととか、一ノ谷の戦い後に平維盛が脱落することとか。

*3:義経 第13回「源氏の決起」 - 日本史日誌