日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第16回「試練の時」

えーと、まずは前回*1取り上げられず終いだった還都のお話。
後白河院に呼び出された平宗盛は、すっかり院のペースに巻き込まれて還都論者に。その勢いで、いつも頭の上がらない平清盛パパに直言するも、その怒りに触れるとすぐにシュンとしてしまう平宗盛。情けない姿は毎度のことですが、今回は平宗盛にとって唯一の「見せ場」になったかもしれないこともあって、ガックリくるものがあります。九条兼実の日記『玉葉』によればこのときの話として、

伝聞、前の将軍宗盛、遷都有るべきの由、禅門に示すと。承引せざるの間、口論に及ぶ。人以て耳を驚かすと。

平宗盛が還都を提言して平清盛と口論して人々を驚かせたという話を載せています。あくまで伝聞史料ですが、それを否定する素材もないので、個人的にはこちらの平宗盛を見たかったんですけどねぇ。
それがあの体たらく、しかも時子ママに「どうせボクは橋の下で拾われたんでしょ!」ならぬ「どうせボクは後白河院落胤なんでしょ!」と言う始末。
そういえば平宗盛後白河院落胤云々という話はどこかで聞いたような覚えがあるのですが・・・何だったか。ただ、つむじが云々といった話じゃなかったことは確か。
ま、とにかくガンバレ平宗盛!ってことで。なんだか不思議と応援したくなるキャラです。


その後、何だかんだでみんなの意見が気になったのか平清盛が一門を招集。逃げ帰ったばかりの平維盛も何故か来ています。福原にいるのは仕方ないとしても、せめて今回は出さない配慮が欲しいところ。今回は平維盛が出なければならないシーンもないし。
さて、平時忠以外はことごとく還都論者になっており、結局平清盛も還都せざるを得ず、福原の海を悲しげな目で眺めておりました。
しかし還都の動機・理由が、なんとなーく有耶無耶な感じにしか描かれていないのでスッキリしない。平維盛ら追討軍の敗報から日を置かぬ還都決定は、東国における反乱軍、すなわち頼朝らへの対策といった側面が大きいと思われるのですが、それが全くスルーされているため、慣れぬ生活・天変地異・郷愁、といった消極的な理由ばかりになっている。そしてそんな消極案に押しきられた平清盛の孤立感・無力感が強調されることになりましたけど、実際には還都後も強引なやり口は変わらず・・・ま、孤立は否定しませんけど、平清盛としては一時的な妥協に過ぎなかったのではないでしょうか。しかし彼に残された時間はあと僅か。


今回もまたネタ多すぎです。というわけで今日は前半の京都編まで。後半の鎌倉編はまた後日。