古代日本の女帝とキサキ/遠山美都男/角川叢書
- 作者: 遠山美都男
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/01
- メディア: 単行本
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- 序章、女帝とキサキへの眼差し─『日本書紀』が描いたキサキの歴史
- 第1章、キサキから大王へ─豊御食炊屋姫(推古天皇)
- 第2章、王位と王権の分割─宝皇女(皇極天皇)
- 第3章、女帝が構想した王権と国家─宝皇女(斉明天皇)
- 第4章、女帝にならなかったキサキたち─穴穂部間人皇女・間人皇女・倭姫王
- 第5章、母と呼ばれた女帝─鸕野讃良皇女(持統天皇)
- (つづく)
1月末に購入した本。色々あって、もう2ヶ月も経ってしまいました。
興味を惹いたのは、皇極天皇に関する第2章。
乙巳の変において、皇極天皇も蘇我入鹿暗殺に関与していたという話。これを読んでようやく、著者がビデオゲストとして出演した、昨年末放送*1の『その時歴史が動いた』を思い出した。
あのとき、私は皇極天皇退位に関して
そして変後の皇極退位は入鹿という後ろ盾を失って政治的に無力化したためではなかろうか。もし皇極が入鹿暗殺の首謀者のひとりとするなら、史上初の生前譲位が行われるという異常事態も起こらなかったと考えるのだが。
以上のように考えて指摘したのですが、本書では著者が異なる見解を呈示しています。以下、自分なりに要約してみました。
皇極天皇は蘇我氏の後援する古人大兄皇子を退けるために蘇我入鹿暗殺に関与。そして弟・軽王(孝徳天皇)に譲位するのも彼女が選択した既定路線であった。
そしてこの路線を選択した理由は、飛鳥の都市建設への専念、さらに事業を支えるための民衆支配システムの改革遂行を軽王に託すため、である。
んー、納得しかねますなぁ。
蘇我入鹿・古人大兄皇子を排斥した理由が客観的に見えてこないし、軽王を選択したことも彼が改革見取り図を提示したからだろうという推測によるものだし。また、都市建設と政治改革が両立できないので譲位、という理屈も素直には頷けない。それなら譲位せずとも、片方を任せるなり補佐してもらうなりすれば良いだけのことではないだろうか。
やはり譲位の主導権は皇極天皇にではなく、軽王にあったと考えるのが妥当だと思う。
この件も含めて、本書は主観による推測が多いので注意が必要か。興味深い見解も多いんですけどね。