日本史日誌

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豊臣政権の取次/戸谷穂高/戦国史研究(49号)

戦国史研究〈第49号〉

戦国史研究〈第49号〉

豊臣政権における取次に関する研究は、近年活発になってきていて、個人的にも興味のあるテーマです。


「取次」とは政権と諸大名との間の交渉役のこと。従来は十把一絡に「取次」とひとまとめにされてきましたが、西国諸大名(毛利氏・長曾我部氏・島津氏)の服属過程における交渉役を検証することによって、権限などから「指南」「取次」「奏者」に3つに分類されています。
「指南」は、「取次」の上位にあって軍事指揮権や服属地における仕置など、かなり大きな裁量権を与えられた者。「奏者」は諸大名との私的関係に基づいて取り成しやアドバイスを行う者、と位置付けています。
これらは職制として確立したものではないため、状況によって変化が生じ、もともと長曾我部氏に対する「取次」だった豊臣秀長が、九州攻めによって中国・四国・九州と広範囲にわたる「指南」へと変化。石田三成も九州攻め前には島津氏に対する私的な「奏者」でしたが、のちには細川幽斎とともに「取次」となっています。


本論文では天下統一前における考察でしたが、天下統一後も「指南」「取次」「奏者」の3分類が当てはまるのか、また権限・性質の変化はどうなのか、など気になることも多く、今後の研究からも目が離せません。