日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第10回「父の面影」

義経平泉入りってことで、奥州藤原氏が顔を揃え、これで主要キャストが大体揃いましたね。


藤原秀衡義経の対面の場面、秀衡が上座で義経が下座でした。実際のところどうだったかは分かりませんが、『炎立つ』ではどうだったろうか。やっぱり義経が下座だったような気がするけど、記憶が朧気・・・見たのは四ヶ月前*1なのに。(^^;


藤原秀衡鎮守府将軍に任じられたことを言祝ぐ吉次。嘉応二年(1170)年、藤原秀衡従五位下に叙せられ、鎮守府将軍に任じられている。祖父清衡も父基衡も任ぜられなかった官職だ。平泉が、藤原秀衡がどう思っていたかは伝わっていないそうですが、京都では驚天動地の人事と受け止められ、右大臣九条兼実も日記『玉葉』に「乱世の基」と記したとか。


設けられた宴席で退屈のあまり(?)居眠りしてしまうタッキー。宴の後、奥州藤原氏の面々がそれについてあれやこれやと人物評を語っておりますが、ぶっちゃけそんなことはどうでもいいんです。御稚児さんの可愛らしい舞がハアハアもんです♪。シーンが短いのが残念。


義経元服を平泉で行わなかったことを、用心のためと藤原秀衡に語る吉次。『平治物語』なんかだと、「家来筋の奥州藤原氏のもとで元服なんて出来るかー!」っていう見栄で、ということになっている。これはちょっと鎌倉時代の史観に染まっているようなのでちょっとね。
一方、用心のためとするのはタッキー義経像に合わせたものだろう。今回も随所で落ち着いた、というか飄然とした義経像を披露していた。といっても、居眠りしたり、遭難した藤原泰衡を助けに行ったりと、反面あんまり用心深くないところも。二面性、と捉えればよいのか?


ようやく年が変わって承安二年(1172)、いつの間にか入内していた徳子が中宮に。ようやく高倉天皇馬場徹)も登場。チラっとだけですけど。そういえば、徳子が入内を嫌がっていたのは何だったのだろう? 今後の伏線になっているの?


藤原秀衡から白馬を貰った義経。「白童子」(でいいのか?)と名付ける。義経の馬といえば「青海波」だが、今作はこの馬が活躍するのか? オープニングに出てくる白馬とはまたちょっと違うような感じがする。


一気に時が進んで、安元元年(1175)。進むとなると一気に進むなぁ、進みすぎ。前年の後白河院厳島行幸とかのイベントはナッシング?


平泉に来ちゃった上戸彩。(笑)
なんだなんだ、来るのなら付いてゆけばよいのに。というか「吉次さんに道を教わって」って、それって近所の町にぷらっとやってきた感覚じゃあないですか。演出的に安直すぎますぞい。どこでもドアでやってきた感じだ・・・。義経主従と連れ立つと色々面倒で1話に詰め込めなくなるこうなったのか。しかし女の一人旅の方がよほど艱難辛苦を待ち受けていたろうに。描かれない、そちらの方が気になってしまう。(妄想)
それにしても、タッキーと上戸彩の関係は何というか、こう微妙なもどかしい距離ですな。