日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第9回「義経誕生」その3

続きです。


あっという間に尾張国に到達した遮那王御一行様。ここで伝説の山賊熊坂長範に襲われます。従来の奥州下りっぽい唯一の演出でした。しかしこの熊坂長範の伝説の舞台といえば尾張ではなく、西美濃ではなかったか。特に源氏ゆかりの美濃国青墓の地。
そして青墓といえば大炊の長者の根拠地。第1回*1に登場(といっても一瞬)したので、奥州下りにも登場するのではないかと期待したが、完全にすっ飛ばされちゃいました。青墓は次兄朝長最期の地でもあるので、墓参り*2くらいさせてもいいのに。
家族愛を謳う大河ドラマだが、総じて頼朝以外の兄弟への扱いは冷たい。今若・乙若は同母兄にもかかわらず会うどころか話題にすらのぼらない。何だかこのまま出てこない可能性が高いのではないか、そうなればこれはもう涙なしには語れない。
そしてこのような演出が、意図的なものかはたまた偶然かは分かりませんが、従来の義経像とは異なるイメージを抱かせられます。つまり「激しやすいが、情にもろい」そういったタイプの従来型*3と、タッキー義経は一線を画しているのではないかと。特に「激しやすい」というのが正反対ですね。タッキー義経は冷静で、温厚で、朴訥で、悩める人。荒々しく、やんちゃなところはほとんど影をひそめている。今回の熊坂長範も伝説では討ち取っているが、温厚なタッキー義経は諭すだけで釈放。
このまま新路線を進むのか、成長とともに変化するのか、今後を見守ってゆきたい。


さて次の話題は元服義経元服は『平治物語』によれば近江国鏡宿で、『義経記』によれば尾張国熱田。というわけで今回は『義経記』説を採ったということなんでしょうか。ただ『義経記』だと父源義朝の正室*4の実家である熱田大宮司を烏帽子親にしていたりするんですが。

吉次「この先の内海庄は御父上最期の地で御座います。」
遮那王「マジ? じゃあ僕ここで元服するYO!」

といった感じのやり取り(一部脚色アリ)があったので、てっきり内海庄での元服なのかと仰天*5したが、よくよく思い返せば、吉次は「内海に来てる」とは言っていないし、その後もそのような説明はない。とはいえ、あんまり親切な描写ではないなー。
で、元服して自ら「義経」と名乗るのだが、「経」の字は鞍馬寺での読経三昧の日々から採ったとする新説。しかし全然説得力ないよー。(笑)


今回初登場の伊勢義盛駿河次郎。伊勢義盛は実在の人物で、出自はハッキリとしないが『平家物語』『源平盛衰記』では伊勢鈴鹿関で山賊をしていたと語られている。熊坂長範の手下設定となっていたのは、その山賊繋がりゆえであろうか。伊勢義盛と熊坂長範の接点はたぶん無いと思う。
一方の駿河次郎は、『義経記』に雑色*6として登場する。これを振り出しに江戸時代には芝居にも登場、挙げ句義経四天王に入れられたりもしてる、まるで出世魚のようなキャラクターだ。


そしてあっという間に陸奥に到着しましたが、いったいどのくらい年月が経ったのだろう?

*1:義経 第1回「運命の子」 - 日本史日誌

*2:当時墓があったかどうかは知りませんが、青墓の源朝長墓には昨秋訪れました。→近江美濃編/3日目/大垣市 - 日本史日誌

*3:炎立つ』の義経野村宏伸)はこれに当てはまるかと。

*4:源頼朝の母で、既に故人。

*5:源義朝最期の地には、当然仇敵長田父子が健在。そんなところで元服は危険すぎる。ついでながら内海は知多半島の先なので陸路だとルートから外れる。

*6:身分が低いが、その異能を活かし主君の手足となって働く。