日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第7回「夢の都」その2

昨日*1の続きでーす。


再び話は伊豆の頼朝に。頼朝・安達盛長比企尼、でもう一人は誰? キャストを見返してみると該当しそうなのは、桂(小林千晴)かな。どういう役どころなのか気になる。普通に考えれば頼朝の世話をする下女だろうか。しかし、比企尼安達盛長が揃っているのに、二人を結ぶ人物が欠けているのは不自然。そう、比企尼の長女で安達盛長の妻・丹後内侍である。あのポジションには丹後内侍こそ相応しい。島津忠久*2の頼朝落胤伝説も絡められるし、身の回りのお世話をしているところをムニャムニャってことでさ。そういえば安達景盛*3にも頼朝落胤譚があるっけ。うん、今からでも丹後内侍に役名を変えなさい。


徳子入内が本決まり。公家衆が寄り集まってあれこれ詮索している。

公家A「平家とは縁続きの近衛殿が立ち回られているとのウワサ。」

確かに、平清盛の娘・盛子が摂関家藤原忠通の長男基実(近衛家の祖)に嫁いでいて縁続きです。しかし、肝心の基実は5年前に早世していて、その子・基通は義経よりひとつ年下でこのときはまだまだ小僧。立ち回っていたとしても子供の使いに過ぎぬでしょう。
摂政太政大臣松殿藤原基房(中丸新将)登場。平家の台頭にかなりご不満の様子。それもそのハズ、前年には殿下乗合事件で平家には屈辱を味わされているのですから。ちなみに松殿基房は後に木曽義仲に接近してその滅亡後失脚し、その後松殿家は盛り返すことができず、子孫は繁栄しなかった。後の五摂家は同母兄基実(近衛家鷹司家)と異母弟兼実(九条家二条家一条家)の子孫で占められている。


で、意図不明な殿下乗合事件もどき来たー!
2005-02-20 - Mariner-S Blog』さんが言及されているように、殿下乗合事件との齟齬が少なくない。

  • 嘉応二年(1170)でなく、承安元年(1171)であること。
  • 相手が松殿基房でなく、「三位殿」であること。
  • 平資盛だけでなく、兄維盛も関わっていること。

ただ、二人の会話の内容から、既に殿下乗合事件があって今回は別事件という設定であることがわかる。

維盛「ここで意地を張っては、先年の騒ぎの二の舞じゃ。」
資盛「あの折りはむざむざ逃げ帰って、父上のお叱りを蒙った。此度は引けぬ。」

結局逃げ帰った二人の報告を聞いた重盛も

またしてもッー!!!

と激怒しているので間違いない。なぜこのような改変をしてまで、このエピソードを差し挟んだのかは謎だし、何より視聴者への説明不足は否めない。次回に話が続くようなのでそちらで上手くフォローされることを期待したい。
あと、謎なのは「三位殿」が誰なのかということ。『公卿補任』が手元にあればある程度は見当がつくのだろうけど、残念ながら所持しておらず。


上戸彩に奥州行きを告げる遮那王。

上戸「でもまた都に戻られるのでしょう?」

あかん・・・あきまへん。こんなことでは二人の関係は進展しない。ここはこう言うべきであろう。

上戸「私も連れてって!」

あるいは、

上戸「付いてこい、ってなんで言ってくれないの!」

と泣いて走り去るべきかと。そうすれば二人の距離はグッと縮まること請け合い。どうせ東下りは女っ気ナシのむさ苦しいものになってしまうのだろうから、上戸あたりを連れて華を添えるべきだろう。どうせ架空キャラなのだからそのくらい活用してほしい。

*1:義経 第7回「夢の都」 - 日本史日誌

*2:丹後内侍が前夫惟宗広言との間に儲けた子。薩摩の大名島津氏の祖。

*3:安達盛長と丹後内侍の子。