シンポジウム「埼玉の戦国時代 検証比企の城」/史跡を活用した体験と学習の拠点形成事業実行委員会
http://www.ksky.ne.jp/~rekishi/sinposengoku.htm
埼玉県立歴史資料館の近く、歩いて5分ほどの国立女性教育会館講堂が会場。土日の2日間かけて行われ、両日とも参加する予定であったのだが、ゆえあって土曜の1日目しか参加できませんでした。帰宅後、友人宅に呼ばれたので行ったところ、午前2時までドンチャン騒ぎ。もう若くないから今日は昼近くまで寝ておりました(w
で、シンポジウムなんですが、参加費は無料。しかも無償配付の資料が充実してる! 分量だけで言っちゃうと、↑で購入した図録の約9倍。しかもこの資料、今後販売もしないとのことで、参加者のみ入手できるというレアものっていうじゃありませんか。いやはや、「いいもの」を頂きました。
- 基調講演「戦国比企の城と村」 藤木久志氏(立教大学名誉教授)
- 松山城跡の発掘成果 太田賢一氏(吉見町教育委員会)
- 杉山城跡の発掘成果 村上伸二氏(嵐山町教育委員会)
- 小倉城跡の発掘成果 石川安司氏(玉川村教育委員会)
藤木氏の講演は、文献史学の立場から比企地方を中心とした史料を基にして、戦国の城が領民の避難所としての機能を持ち、またそれゆえに日頃の維持管理が領民の義務となっていたことを論じられておりました。内容としては藤木氏が著書・論文で述べられているお馴染みのものでしたが、それが埼玉の城でも確認できる点に新鮮味を感じました。
戦国大名争覇の地・武蔵松山城からは、文献史料の乏しい上杉氏段階の遺物が多く出土し、逆に文献史料に豊富に登場する後北条氏段階以降のものが少なかったそうな。
縄張りの教科書と呼ばれる杉山城は、その縄張りから後北条氏の築城によるものとされてきたが、発掘された遺物から半世紀早い山内・扇谷両上杉氏の抗争期の城の可能性を指摘。さらに構造物遺構の少なさから未完成で廃棄された一時期的な城の可能性も指摘された。