日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経の登場/保立道久/日本放送出版協会

義経の登場―王権論の視座から (NHKブックス)

義経の登場―王権論の視座から (NHKブックス)


頼朝の助命に池禅尼が動いた理由を、係累に頼朝と関係にある人間がいたためであろうと推測している。しかし、それが頼朝の同母姉の夫である一条能保とするのは如何なものか。池禅尼にとっては孫娘の婿の甥という関係で、有り体にいえば遠い親戚。当時の家族意識みたいなものはよく知らないけれど、これだけではちょっと納得し難い。
本書では他にも遠い親戚関係から理論を組み立てていたりするので、注意が必要かもしれない。


第三章では一条長成常盤御前夫妻についてその実像を捉えんと、王朝における位置づけを探っている。
その中で、両人の間に生まれた子供についての項で興味深い推論を立てている。源頼政の孫に源有綱という人物がいて、のちには義経とともに没落するのだが、その彼が『吾妻鏡』によれば義経の聟とあることから、一般的に義経には奥州時代に娘を儲けていていたんじゃないかと言われています。
しかし、可能性がないわけではないけど年齢的に非常に厳しい。義経満15歳にあたる承安四年(1174)に生まれたとして、義経・有綱が没落する文治元年(1185)に娘はまだ満11歳の幼女。そこで私は幼女ならぬ養女を迎えて婿にとったのかも、なんて考えていたりもしたんですが。(笑)
保立氏は「聟」を「妹聟」なのではないかと推測。そうであるならば一条長成常磐との間に生まれた異父妹ということになり、年齢の問題もクリアされるだろう。さらに、義経とはぐれた後に有綱が隠れ潜んでいて結局は追っ手に討たれたのが、常磐に縁のある大和国宇陀郡ということも充分納得いくこととなり、いいことずくめなのだが。