日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

後白河上皇/安田元久/人物叢書

後白河上皇 (人物叢書)

後白河上皇 (人物叢書)

  • 一、激動期の帝王―序にかえて
  • 二、仮の皇位継承
  • 三、「文にも非ず武にも非ず」―遊芸の皇子の即位
  • 四、保元の乱の勃発
  • 五、策士少納言入道信西
  • 六、専制君主への首途
  • 七、平治の乱
  • 八、「いみじく有りける」歳月の破綻
  • 九、二人の横紙破り
  • (つづく)


中世史研究の大家であった故安田氏の著書。後白河天皇でも後白河法皇でもなく「後白河上皇」を表題としたのか疑問に思っていたが、はしがきによれば

後白河天皇の在位期間すなわち天皇親政の時期がきわめて短く、上皇法皇)として院政を行い、その政治的活動を続けた期間が生涯のうちでの大部分を占めたという歴史的事実に拠る。
(中略)
「治天の主」としての上皇の称を用いるのが、よりふさわしいと判断したのである。

だそうな。一般的に馴染み深いと思われる「後白河法皇」を採用しなかったのは、推し量るに「法皇」が「太上天皇上皇)」の一形態であるという観点からなのだろう。


さて、内容の方ですが、1986年出版ということもあって、さすがに20年近く経ってしまうと古くさい見解が散見される。例えば、保元の乱において功績大であった源義朝より平清盛を初めとする平家一門への恩賞が厚かったことを、近年では乱前において既に源平では大きな差が付いていたことを指摘して、恩賞はそれほど不当なものではないとするが、本書では『愚管抄』あたりの見解だろうと思うが、藤原信西による平家贔屓の結果だと評している。


それはそれとして、印象に残ったのは保元の乱平治の乱の全体としての記述。やはりというか何というか、後白河の主体的な意思は見えてこない。著者がいう「傍観者」というのはまさしく的を射ていよう。後には「大天狗」と言われ、一般的には策謀家としてのイメージも強いと思われるが、主体的な政治行動を起こすようになるには幾多の経験を重ねてからということ。でも、後白河視点を通した両乱の記述を期待していたんですけどね。