日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第2回「芽生え」

美貌の赤橋登子(沢口靖子)にすっかりメロメロの足利高氏真田広之)。それも致し方なしかな。やはり沢口靖子は美しい。しかも当時はまだ25歳、輝いてる。というか、今年で40歳になるんですか、それもまたビックリな感じ。

この赤橋家は、幕府の基礎を築いた二代目執権北条義時の三男長時を始祖とする名家である。

高氏が赤橋家を辞去するときに流れたナレーション。一瞬聞き流してしまいそうになるが、そうはイカの(以下略。確かに赤橋家は長時を始祖とするかもしれないが、長時は義時の三男じゃないよ。義時の三男は重時。その重時の長男が長時だ。
つまり、「義時−重時−長時」なのに「義時−長時」と一代抜かしてしまうボーンヘッド。いやはや勘弁してたも。


日野俊基榎木孝明)、山伏姿で登場。廻国伝説か。長崎家家臣との乱闘で窮地に陥った高氏を助け、その後新田義貞萩原健一)と密会。正中の変へと続く布石だろう。


館に戻った高氏は、父足利貞氏緒形拳)が長崎円喜フランキー堺)に謝ったと聞き、衝突の挙げ句に貞氏から「鎌倉から出て行け」と命じられ、周囲の心配をよそに高氏は自らの意思で旅立つ。若かりし頃に見聞を広めるために旅立つ、大河ドラマではよくあるパターンだ。


旅の途中、旅芸人一座に出くわし、ましらの石(柳葉敏郎)と出会う。矢より速く走るというましらの石だが、高氏との勝負に敗れ、なおかつ親の仇である足利の者と知って高氏に矢を放つが失敗。一方、義妹の藤夜叉(宮沢りえ)は風邪で伏せっていて、今回は高氏とは絡み無し。


そんなこんな?で高氏は京に到着。元亨四年(1324)9月のことだそうな。史実にない高氏の上洛にわざわざ御丁寧に年月まで示されているのは何かあるな、と思って調べてみたら、ちょうど正中の変が起こったのがこの元亨四年(1324)9月。正中の変とはいうものの、事件が勃発した当時の年号はまだ元亨で、正中に改元されたのは12月。へー、ひとつ勉強になったな。