日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第2回あらすじ「我が父清盛」

清盛(渡哲也)に命を助けられ、母・常盤(稲森いずみ)とともに京の都に暮らしていた牛若(神木隆之介)は、本来は敵であるはずの平家の子どもらと実の兄弟のように楽しい時間を過ごしていた。そんな牛若の姿を見た重盛(勝村政信)は、源氏の血を引く牛若に何らかの処分を与えるべき、と清盛に進言する。
一方、清盛の妻・時子(松坂慶子)は、人づてに清盛が常盤の屋敷に通っていることを知る。ひと目、常盤の姿を見てやろうと考えた時子は、家臣の屋敷に常盤を呼び出させ、偶然を装って対面する。常盤の様子から、時子は常盤が清盛の子を身ごもっていることを見抜く。時子は常盤に対する激しい怒りを覚える。
別の日。常盤の屋敷に宋の国の人々を招いた清盛は、自分の“夢”を描いた屏風を披露する。常盤のもとに預けておいたその屏風には、牛若の落書きがしてあった。清盛は、自分に臆することなく屏風に描かれた風景のことをあれこれと尋ねる牛若に、自分の“夢”=“新しき国”について優しく語って聞かせる。
一方、久しぶりに清盛と過ごした時子は、常盤との関係について思うことを、それとなく清盛に伝える。時子の心中を察した清盛は、常盤を一条長成蛭子能収)のもとに嫁がせることを決める。生まれて間もない娘の能子と牛若を常盤から引き離そうとする。しかし常盤の懇願に負けた清盛は、能子を時忠(大橋吾郎)・領子(かとうかずこ)夫妻に預けるものの、牛若は今しばらく常盤の手もとに置くことを許す。こうして母子は一条長成の屋敷に居を移すが、変わらず平家の人々を家族のように慕う牛若に、常盤は「もう平家の屋敷に行くな」ときつく言い渡すが……。

てことで、第2回は鞍馬寺入山前のお話のようですね。前回は平治の乱から5年後まで進んだことになってますので1165年、義経7歳(数え年)なんですが、『義経記』だと鞍馬寺入山はこの年。
ま、とはいえ確証のあることではないので、『尊卑分脈』だと11歳のときだとされていたりしますし、この辺は自由度高くて構わない。つーか鞍馬時代も奥州時代も伝説や創作ばかりだから、前半は正直ツッコミ入れようがなくて大人しく見ることが多くなるかもしれない。