日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第1回「運命の子」

ついに始まりました。白馬が疾走するオープニングはなかなかカッコいいじゃあないですか。うんうん。
ところでキャストに「家貞(来栖修二)」とあるのは平家貞のことか?だとすれば平盛国なんかより大物だと思うのだが、扱いが小さすぎる。


んー、いまさらだけど渋谷金王丸の出番がないのは残念だなぁ。『平治物語』では敗走する源義朝よりの伝言を、またその後は義朝の死をそれぞれ常盤御前に伝えるという役割を果たしている。またのちに頼朝の命で源義経を襲撃する土佐坊昌俊は彼の後身ともいうのだから、義経との因縁は深く、うまくやれば面白い脇役ともなるだろうに。
とりあえず今回は、伝言が義朝より直接であり、義朝の死は流れ着いた場所で聞いた噂ということに。


出てこないといえば長兄・悪源太義平や次兄朝長は姿形もない。自害した朝長はともかく、「義朝の一門は根絶やしに汁!」と清盛に意気込ませているのだから、処刑された義平は名前くらい出してくれてもよかろうに。
と、その一方で大炊の長者(大木正司)がきたよー♪ちょい役だけど、のちの義経東国行の際にまた出てくるかもしれん、と期待。


それにしてもこの牛若赤ん坊はすごい可愛いですな。神木隆之介→タッキーと成長するだけあって赤ん坊も選りすぐりってわけね。


頼朝のことを平家の面々が「右兵衛佐殿」と呼ぶのが気になった。すでに解官されているのだから「前右兵衛佐殿」と呼ぶべきではないのか。


池禅尼の頼朝助命嘆願のことは昨日の日記*1を参照のこと。仕方ないとは思うが、やはり清盛が決定権を握っている演出になっておりました。


池禅尼の頼朝助命嘆願について、平重盛から清盛への進言で「継母、継母」と連呼させしは自身の継母である時子(松坂慶子)への当てつけ?(笑)


平清盛の母は祇園女御の妹という設定のようですね、白河院落胤というわけじゃなさそうだけど。


常盤御前が清盛の亡き実母に似ていると聞かされて、常盤を寵愛する清盛・・・マザコン設定?(^^; 幼少に母を亡くし、母の面影を求めて恋愛遍歴を重ねる光源氏を思い出した。


頼朝と同日に常盤母子が助命されたことにされたが、『平治物語』では頼朝配流後のこと。この辺は他に史料がないようなので何とも言い難い。


いきなり5年後まで話が飛ぶ。いまだ常盤と牛若は清盛と暮らしているけど、一条長成と常盤との子である良成は長寛元年(1163)に生まれたそうなので、実際には既に一条長成のもとにいたものと思われる。なのに蛭子さんの出番はナッシング・・・トホホ。
さらにこのとき常盤の腹に清盛の子供が、って、そんなー! 一条長成の立場はいったい。
清盛と義経が父子のように、清盛の子供とは兄弟のように、という『義経』におけるコンセプトには勝てぬか。

  • 平治元年(1159)12月26日 六波羅合戦(平治の乱
  • 平治元年(1159)12月29日 恩賞除目(平家知行国5ヶ国→7ヶ国)
  • 平治二年(1160)1月4日 源義朝尾張内海で討たる
  • 平治二年(1160)1月9日 源義朝、京にて梟首
  • 永暦元年(1160)2月9日 源頼朝、美濃で捕らわる
  • 永暦元年(1160)3月11日 源頼朝、伊豆へ配流