日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

その時歴史が動いた/ミステリー大化改新/NHK総合

正月時代劇の予習番組ですな。放送終了後には番宣CMも流してるし。


http://www.nhk.or.jp/taika/index.html


キャスト的には面白そうな感じ。正月は出かける予定なので録画してみることになろうか。大化の改新といえば、『645(ろく・よん・ご)〜大化の改新・青春記〜』っていうラジオドラマが思い出される。ハチャメチャな展開がツボにハマった作品で、NHK-FM青春アドベンチャー枠の名にふさわしい青春ドラマでした。


で、まあ今回の歴ウゴなわけですが、大化の改新というか蘇我入鹿暗殺事件、いわゆる乙巳の変がテーマでして、

近年、大化の改新についての見直しが進んでいる。権力の独り占めをねらう豪族、蘇我入鹿を誅し、天皇中心の律令体制のかたちを創った中大兄皇子中臣鎌足の偉業であるとする「日本書紀」の定説を、様々な角度からとらえ直そうという動きである。
日本書紀は、中大兄皇子、後の天智天皇の系統と藤原家が全盛の頃に作られたため、中大兄皇子中臣鎌足律令国家建設のヒーローとして描いている。しかし、その記述の中に、多くの矛盾があることが明らかになってきた。そのうち最も説得力があるとされているのが、入鹿暗殺の真の首謀者は、飛鳥京建設の野望を持つ中大兄皇子の母、女帝・皇極天皇と次期天皇の座を狙った叔父、軽皇子孝徳天皇)であるとする、2年前に発表された説である。
番組では、歴史学者・遠山美都男氏の新研究をもとに、中大兄皇子中臣鎌足が行ったとされる蘇我入鹿暗殺の真相と、大化の改新の知られざる実像を解き明かす。
(番組ホームページより)

予告の時点で孝徳首謀説なんだろうな、とは察しがついてはいたものの、まさか皇極までもが付け加えられていようとは。
皇極と入鹿を協力関係にあったとするのには首肯できるが、入鹿の甘樫丘の邸宅造営によってその協力関係に亀裂が生じたとするのは如何なものか。このエピソードは入鹿の横暴を表すものであるが、同じく横暴とされてきた山背大兄王殺害を皇極の命によるものとするのであれば、こちらもやはり皇極の命ないし同意のもと解釈するのが妥当だろう。甘樫丘は皇極が造営を行った飛鳥京のすぐ近くであり、都建設の一環であったのかもしれない。そして変後の皇極退位は入鹿という後ろ盾を失って政治的に無力化したためではなかろうか。もし皇極が入鹿暗殺の首謀者のひとりとするなら、史上初の生前譲位が行われるという異常事態も起こらなかったと考えるのだが。


追記:私は既に孝徳首謀説が前提となっていたが、そのようなものを全く知らないで見た人はどう思われたのであろう? 皇位を狙っていたとか、首謀者は暗殺現場になど出ない、などごもっともではあるが、それだけでは説得力に欠けてやしないか。
やはり乙巳の変だけではなく、その後の改新政権の構成も取り上げるべきだったろう。通説の中大兄皇子中臣鎌足主導による政権ではなく孝徳とその支持者による政権で、中大兄皇子中臣鎌足が表舞台に立つには権力闘争を経てのことだ、という説明があれば孝徳首謀者説も分かりやすかったと思う。ただ時間の都合ってのもあるんでしょうけどね。