近江美濃編/2日目/関ヶ原町・垂井町
<写真1>http://www2.pf-x.net/~sanraku/gohnoh02/index.htm
<写真2>http://www2.pf-x.net/~sanraku/gohnoh03/index.htm
8:30 関ヶ原駅到着
晴天。でもこの時間まだちょと寒い。関ヶ原の戦いはとっくに始まってる時間だ。当日朝は霧がかかっていたそうだがこの日は視界良好。
ちなみに関ヶ原には5年前に一度訪れているが、時間がなかったのであまり廻ることができず、今回は1日かけてじっくり廻ろうじゃないかという魂胆。
8:50 藤堂高虎・京極高知陣跡
中学校の校門入ったところに石碑があります。近頃はこんな時代ですから学校内に入りづらいのですが、日曜で人影もなく校門も開放されていたので、有り難く撮影させてもらうことにしました。でもこの時間なら部活に来ている生徒がいてもおかしくないのだが。
9:00 福島正則陣跡
小さな神社の一角に石碑が建っています。お爺ちゃんとお婆ちゃんがホウキで落ち葉を掃いていました。朝早くからご苦労様です。
9:10 脇坂安治陣跡
さて、次はいよいよ松尾山だ!というところで飲み物がないことに気付く。水分補給が出来ぬままの登山は前回横山城で痛い目に*1あっているので、引き返して自販機を探す。福島正則陣跡近くで無事発見。タイムロスしたが、ここまで順調に来ているのでさしたることはない。
9:50 松尾山、小早川秀秋陣跡
5年前は麓で引き返したが、今回は万全の構えで挑む。道は広いし整備も上々なのでかなり歩きやすい。麓の看板には40分とあったが25分で到着。鎌刃城のように山上に誰かいるかと期待したが無人。やはり山城で人に出会うのはそうそうあるものではないようだ。そういえば鎌刃城でも、若造の私に「山城の専門家ですか?」と聞かれたが、これってそれだけあまり訪れる人が居ないってことだろう。
そして下りは20分ほどで着いたのだが、途中勢い余って左足首をひねってしまった。マッサージとその後無理をしなかったおかげで大事には至らず。登りより下りの方がキケンだというのは頭じゃわかってるんですがねぇ・・・。(^^;
10:40 不破関跡
なんか案内板があったのでそれに従って民家の合間を進むと関庁跡と兜掛石とかいうのがありました。予定にない史跡に出会うのも散策の醍醐味。資料館は時間の都合もあるのでゴメンナサイした。
10:50 自害峯
関ヶ原合戦関連の史跡だろうと思って向かったのだが、行ってみると壬申の乱の大友皇子陵墓参考地だという。大津で自害された皇子の首をこの地に葬ったという話だが、ここで自害したわけじゃないのに、このネーミングは紛らわしいんじゃないか。もしかしたらどこかで伝承がねじ曲がっているのかもしれないけど。
11:20 大谷吉継墓
陣跡のさらに奥にある。
11:35 平塚為広の碑
12:05 島津義弘陣跡
12:10 関ヶ原合戦決戦地
12:45 奥平貞治墓
国道365号を西へ。関ヶ原中心部からだいぶ離れた場所にある。お昼近くからだいぶ西風が強くなってきて難儀しました。
13:00 関ヶ原民俗資料館
とりあえず入っておいた。
13:40 烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡
岡山烽火場なのか、丸山烽火場なのか、どっちが正しいのかハッキリしてくれー!
14:05 岩手陣屋跡
関ヶ原から東へ向かい、垂井町に入る。ここは竹中半兵衛の子・重門に始まる竹中氏の陣屋跡。立派な櫓門と石垣・堀が残る。
戦国時代の竹中氏居城・菩提山城も登りたかったが、時間と体力を考えて断念。
14:45 御旅神社
この近辺が美濃国府跡で、発掘調査もやったそうなのだが、それを示すものが見つからない。疲労で史跡レーダーの性能が落ちているのか。
15:00 金蓮寺
ここに向かう途中で町指定文化財の宝篋印塔を発見。写真を撮っていると通り雨が。急いで金蓮寺の本堂の軒先に駆け込み雨宿り。10分も待つとあっさり止んでくれました。
ここの寺には結城合戦で捕らえられ、この地で斬られた足利春王丸・安王丸の木像があるとのことだが、住職プレイができず見ることあたわず。
15:10 春王・安王墓、池田輝政陣跡
15:55 吉川広家陣跡
真禅院に向かう途中、説明板を発見。しかし他と違って石碑は無し。